「…はい、わかりました」
“………?”
「いえ、平気です。いつか言わなければいけないと思っていましたし、もう隠す必要もありませんから。それに…これ以上先輩を騙すのが嫌なんです。先輩には本当の事を知ってもらって、今までのことを謝りたいんです」
“考え過ぎよ。あいつの事だから、そんなに気を張らなくても二つ返事で許してくれるわ”
「…確かにその通りかもしれませんね。…一年間も一緒に居て、私の気持ちに気がついてくれない程の人ですから…」
“まっ、まぁその辺は同情するわ。あいつの鈍感さは筋金入りだもの”
「はい…。でも、お互いその鈍感さんを好きになると苦労しますね」
“そうよ、ほんっと嫌にな…って、違うわよ桜!私はあんなヘッポコ何とも思ってないわ!”
「隠したって駄目です。もう、遠坂先輩もイリヤさんも油断できません。先輩の家に居候だなんて…。でも、私は先輩だけは相手が誰だろうと譲る気はありませんから」
“もう…ふん、でも私だって負けないわよ”
「はい、じゃあお互い戦線布告したので明日から勝負ですね。…先輩、今日はありがとうございました、おかげでだいぶ気が楽になりました」
“えっ?…そ、そう?それはよかったわ。じゃあまた明日会いましょう、お休みなさい”
「はい、お休みなさい…姉さん」
“!?さ、さく…”
ピッ、…ツーツーツー…
何かを言おうとした姉さんに続きを言わせずに、私は電話を切った。
(まだ、『姉さん』って言い慣れないな…)
考えてみれば当り前のことだろう。
十年以上前から他人として接してきたのだから…
序章:X/もう一つの結末
……あの事件の後、先輩の家にはイリヤさんと何故か姉さんも現れるようになっていた。
…何があったのだろう?
そういえば金髪の綺麗な女の子もいなくなっていた…。
信じられないが彼女も英霊だったのかもしれない。
そうして人口が増えた先輩の家での新しい生活は、変わってないようでいて私にはとても衝撃的だった。
…姉さんと一緒に料理を作ったり、得意料理を教え合ったりなんて考えられない事だったから。
だから、この二か月で私たちの溝は、少しづつだけど狭まっている。
二人で新都へ出かけたりもしたし、私も片手の指の数程だけど『姉さん』と呼んでみたりもしている。
その時の姉さんは決まって顔を赤くして外方を向いてしまうのだけど。
…でも学校の帰りに初めて言った時、何も言わずに抱き締めてくれた姉さんを私は忘れない。
私は自室に入ると電気を消し、ベッドに潜り込んだ。
…屋敷の中には何の音もしない。
微かに外の桜の枝が風できしむ音がするだけだ。
……以前は、私にとっての夜は恐怖と苦痛しか無かった。
屋敷に養子に来てすぐはあの暗い虫倉に放り込まれ、中学になってからは兄さんに乱暴され続けてきた。
…でも逃げ出せなかった。
既に汚れてしまった自分、兄から彼の居場所を奪い取ってしまった自分…。
こんな私は誰かに助けを求めたり、望みを持ってはいけなかったから…
だけど、私は先輩に出会って望みを持ってしまった。
“この人の傍に居たい”
結婚したいとか付き合いたいとかじゃなく、ただ彼の傍に居たかった。
だから私はお祖父さまに言われてライダーを召喚した後、令呪を使って偽臣の書を作り、兄さんにライダーを渡した。
先輩の前では私は普通の女の子のままでいたかったから…
ライダーは『マスターの命令なら』と、言って了解してくれた。
…そうして私は戦争中、学校にも行かずに屋敷にこもっていた。
「あっ!?つうぅ…」
それから何日目の晩だろう、突然左肩に物凄い熱を感じた。
「これは…」
熱のした所を見てみると、そこに有った令呪が全て色を失っていた。
(ライダー?兄さん?)
それだけではなく、さっきまで有ったライダーと兄さんとの繋がりが感じられない。
“…桜よ、儂の所に来い”
突然消えた令呪と二人との繋がりに不安を感じていると、頭の中にお祖父さまの声がした。
「…はい、ただ今参ります」
私は薄暗く、生暖かい空気が頬を撫で、万の虫が蠢く音がする間桐の地下室にやってきた。
そして、部屋の中心には鼻につく腐乱臭と血の臭いを漂わせながら祖父が佇んでいた。
「お祖父さま」
「おぉ、来たか桜。…先ずは聞くが、おぬし令呪に異変があったのではないか?」
「はい、残っていた令呪が全て消えてしまいました」
「そうか…では此を見よ、桜」
そう言うと部屋の角に有った黒い塊が移動してきた。
途端に血の臭いが濃くなる。
「お祖父さまこれは…」
私が尋ねようとした時、黒い塊…淫虫の群れがどき…そこにはどんな生き物だったのか区別がつかない程に潰された…
肉の塊がさらけ出された。
「!?うっ、おうぇぇ…げほっ!うっ…あ、はぁはぁ…」
私は余りの惨さに堪えられず嘔吐した。
「慎二じゃ。こやつめ、早々に負けおった。折角英霊も与え、限定的な魔術も使えるようにしてやったのに…全く救いようのない愚孫よ」
苦虫を噛んだような表情でいて、それでも他人事のように祖父が告げる。
「うっ、はあはぁ…」
二人との繋がりが消えたのはそういう事だったのか…
私は込み上げる嘔吐感を必死に堪えた。
「それでじゃ桜、ライダーも倒された儂らは手段を選んでいる場合ではなくなった…」
兄の死体に再び淫虫が群がり咀嚼し、祖父の体に溶け込んでいく…
「こうなればお前の力を解き放つしかない。…何、心配はするな、死にはせん。
…さぁ、自身の欲望に墜ちるがよい、桜」
祖父の手が私の頭を掴みに迫る…
「残念だがお前は此所で終いだ、マキリの亡霊よ」
一瞬の出来事だった。
私に手を伸ばしていた祖父に細身の小剣が突き刺さったかと思うと、叫び声すらあげさせず、業火がたちまち祖父を灰に変えてしまった。
「へっ、対吸血鬼用の式典ねぇ。ただの神父じゃねぇとは思っていたけどよ…。まぁ、神父であることに疑問も感じていたけどな」
私が振り返ると、そこには教会の神父と思われる長身の男性と、青い軽装の男の人がいた。
…青い男性はおそらく英霊だろう。
ライダーのような人を外れた桁違いの力を感じる。
私はいきなり眼前で起こった事に混乱し、彼らの前でただ立ち尽くしていた。
「ん?…お前は確かあの男の娘…そうか、間桐に養子に出されたのか。…さぞ辛かっただろう」
神父はニヤリと笑い、まるで私の不幸が堪らなく愉快だと言わんばかりに話しかけてくる。
「…どうやら本体はお前の中にいるようだな。…ランサー」
「あん?」
「あの娘はお前に任せる、犯すなり何なりするが良い。…ただ、最後は臓硯ごと殺せ」
神父の男性はそれだけ言うと部屋から出て行った。
私は残った英霊と対峙している…けど、どうしたって勝てる相手じゃない。
…犯される事は構わない、そんな事は慣れてしまった。
でも死にたくはない、死んだら先輩に会えなくなってしまう…
死への恐怖に足が震える。
“何をしておる!逃げるのじゃ桜!”
心臓に巣くっているお祖父さまの虫から、怒声が頭の中に流れてくる。
「くっ…で、ですが…」
身体中の刻印虫が、逃げろにげろと合唱しながら私の魔力を喰い荒らし、痛みが走る。
「…辛そうだな、嬢ちゃん」
私が胸を掴み痛みに耐えていると、彼が話しかけてきた。
…いつの間にか手には真紅の槍が握られていた。
すでに槍から溢れ出す魔力が、私たちの周りに渦巻いている。
「気が進まねぇが…マスター命令だ、悪く思うな。…直ぐに楽にしてやる」
そう言って彼は槍を構える。
“逃げろ!早く逃げろ、桜!儂は死にたくない!”
「ぐっ!?はぁぁ…」
刻印虫の合唱が大きくなる。
でも無理だ、私の頭には逃亡という選択肢は存在しない。
此所でこの人に殺されるイメージしか思い浮かばない。
「安心しな、痛みは少なくしてやる」
足が踏み出される。
しょうがないか…。でも、せめて先輩に『好き』って伝えておきたかった…
「はい、お願いします」
“さくらあああぁぁ!!”
ドシュ!!
涙が目から零れ落ちる前に、胸に衝撃を感じて…私の意識は暗転していった…
「………んっ……あれ?」
明るい光りに、私は瞼を開ける。
「…どうして?どうして私は生きてるの?確かにあの人に…あ、あれ?」
事態が飲み込めずに混乱する。
…服の左胸の所に拳大の穴が開いて、血がこびりついていた。
でも、身体には傷が残っていない…。
そして、今まで心臓に感じていたお祖父さまの虫がいない。
「なんで…それと…ここは…うちの居間?」
私はどうやら居間のソファーに寝かされていたようだ。
しかも足下には起き上がった時に落ちたのか、血に汚れたバスタオルが有った。
「誰が…ん?あれ?何か焦げ臭い…」
何かが焼ける臭いがする。
よく見れば部屋も少し煙っぽい。
私は落ちていたバスタオルで胸を隠し、煙の出ている方向に向かって行った。
「こ、これは…」
煙が出ていたのは地下室からだった。
そして、地下室に入った私はその光景に唖然とした。
「ん?…なんだ、もう起きたのかい?嬢ちゃん」
焼け焦げた地下室…さっきまでいた数万の虫は、今は一匹もいない。
部屋の床には虫の亡骸と思える黒い炭が白煙をあげている。
…そして、部屋の中央にあの青い英霊が立っていた。
「もう動けるのか?わりと魔力が多いのかもな」
彼は先程とは全く違う、気さくな笑顔で話しかけてくる。
「これはあなたが…それに私は…」
「ん?あぁ、こいつをやったのは俺だ。いくらかルーンが使えるんでな、気に食わないから全部燃やしちまった。嬢ちゃんは、俺が刺して中にいた臓硯って奴を殺した後に傷を塞いで寝かせておいた。…しかし、こんなに早く起きてくるとは思わなかったぜ。身体の中に有った刻印が頑張ったんだろうな。まぁ、虫が刻印になっているのは初めて見たけどよ」
「え?刻印虫が?どうして…」
「魔術師の刻印ってやつは、植え付けられている者を生かすことが第一だからな。生存本能に従って、嬢ちゃんの傷を治したんだろう」
その時、微かに私の影の中で何かが動いた。
「この子達…じゃあ、お祖父さまは…」
「あぁ殺したよ」
「そうですか…。でもどうして?貴方は私を殺せと言われていたじゃないですか?」
「俺たちは臓硯を殺りに来ただけだ。嬢ちゃんを殺さずに事が済むんだったら、それにこしたことはねぇだろ?」
「………」
「それに嬢ちゃんみたいな上玉は滅多にいないからな、殺すにゃもったいねぇと思ったし…何より俺は女は殺さねぇ」
「で、でも私は汚れているんですよ!あの人が言っていた通り…」
「おっと、そんな嘘は言うもんじゃねぇ。お前、死ぬのが怖かったんじゃねぇのか?」
「そ、それは…」
「どういう訳かは知らねぇが、今度は死ぬ時に悔いが残らないように生きてみるんだな。…んじゃあ、馴れ合い過ぎても面倒だから行くか。…ライダーと決着をつけれなかったのは心残りだが…しょうがねぇ。じゃあな」
彼はそれだけ言うと、振り返る事なく去って行った…
……だから今、私を縛り付けるものは無い。
あの後すぐは突然自由になったことに驚き、どうしたらいいのか解らなかったけど…。
今はあの時彼が言った言葉を実践するために、私は魔術師としての私を受け入れて、姉さんに弟子にしてもらうように頼みこんだ。
…そして明日は先輩にも本当の事を話す。
『今度は死ぬ時に悔いが残らないように生きてみるんだな』
「…大丈夫、もう後悔なんてしない」
そう、絶対…
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